東洋史研究リンク集掲示板

☆長年慣れ親しんだこの掲示板も、2008年9月30日をもって、サービス終了に伴う閉鎖となります。様々なご教示に、管理人としても感謝いたします☆
下記のoriental_historyは書込み情報用です。ご連絡は青木私用メールまたはgmailのほうに願います。

Reload
 


投稿者
メール
題 名

内容(自動改行します。利用可能タグ一覧

URL(リンクを入れたい場合はここに記入します)

[ケータイ全キャリア対応] [RSS]
新しい記事から表示します。最高200件の記事が記録され、それを超えると古い記事から削除されます。
1回の表示で30件を越える場合は、下のボタンを押すことで次の画面の記事を表示します。

色々な人生があるんですね。 投稿者:本野英一  投稿日: 8月28日(木)08時50分46秒

 大学紛争前後の東大の東洋史も、事情は似たり寄ったりであったと聴いています。「フランス語履修で漢文が読める学生が優遇されるのが東洋史の悪い所で、現在の中国を見ようとしない」というのが、駒場時代の中国語の先生(退官後早稲田でも教えていらっしゃいました)の言葉でした。ここでいう「現在の中国」とは、実態とかけ離れて理想化されていた毛沢東時代の中国のプロパガンダのことです。
 でも、進学して見ると、様相はかなり違っていましたね。みなさんが勉強なさっていたのは、洋務運動期の地主佃戸制度(これは大学院)、学部は明末清初の史料ばかりを読まされました。近現代っていうのは、新左翼の独占物で、正直近づくのは怖いし、といって漢文史料ばかり読まされてもちっとも面白くない。駒場時代に憧れていた宮崎市定や仁井田陞の世界とは、様子が違っていて失望したのを覚えています。自らの信じた道を歩むしかない、ということを貫いた山腰先生の生き方は、今振り返ってみると正しかったんじゃないでしょうか。*69453
 


四人組戦記C 投稿者:山腰敏寛  投稿日: 8月28日(木)06時22分18秒

多数の横暴で中国語必須ではないでしょうか。
私たちを1年の時に教えてくれた方は実は、東亜同文書院の出身だった。

三年生の冬ですか、上野の百貨店の古書市でカール=クロウ『支那の洋鬼』を手に入れたのは。

こっちが四年生となった新年度、あまり集まりがよくなかった。
「なんか集まり悪い。後輩にも声かけてくれ」
と、今は某教科書会社につとめている後輩にはっぱかけと、粋のよいのが集まってきました。
別に中国近現代史に限らなかった一見さんのメンツも面白かった。
社会学の本を読み倒している奴とか、フランス語でコルディェの概説でフランスの外交文書引っ張ってきて、清仏戦争時の原敬にも話が及びました。
ちょうど、その頃に、後輩達に紹介したのが青柳篤恒『支那時文規範』で、コピーして要約したのを配りました。後で自分がこの本の真価に気がつき、索引を作ろうかと思ったのはその時の、後輩達の反応を見たことも大きいです。
大学四年で東京から帰った私が一時早稲田で評価が高かったのは、あの自主ゼミがその後10年ほど存続したのは私のお陰だろうということだったのです。でも何故か、合宿があります来て下さい先輩という案内は一回も来なかった。後輩集団の中でも功労者をシカトする向きもあったようです。その集団に最後にあったのは、山根先生が早稲田の講義を終わられたときの会1回こっきり。

ところで、四年になったあたりで不穏な話も聞こえてきました。これは、某先生が私たちのことを気遣って、早稲田は大学院に近現代史は採らないんだけどどうするんだろうと語ったことを同級の誰かが言ってくれた。いろいろと聞いてみるとそうだったらしい。数年ほど前に、例外的に採ったらこれがまた酷かったらしい……。実際私が、当時の教授に確認したのはいかのようなやりとり。
「大学院で近現代史を専攻する学生はとらないというのは本当でしょうか」
「入ってどうするの?」
「入学試験を受けてもダメですか」
「うけてどうするの?」
こりゃダメだと思った次第。
後で知ったのは、私たちの顧問をしてくれていた先生は、僕らが残れるように話はしてくれていたのであるが、実は個人的にはかなり専攻の中で酷い目に遭わされていたらしい。
本人は後で、伏せ字だらけの本を出版しています。話半分でも結構酷い話です。パワハラ、アカハラ、ドクハラまがいのことも平気で横行。
今となっては、早稲田に残る理由などないと大学院を選ぶことが出来た学生の私たちの方がはるかに恵まれたわけですが。とは言え、困っただろうな東京都立大学、普通1人しか採らないところに早稲田だけでも3人も受けに来たというの。1人が、早稲田からストレートに進級し、1人は一年間研修生で一年遅れで進級、私は徳島に帰って来ちゃいました。代々木東豊である文集を買って。


ところで 投稿者:山腰敏寛  投稿日: 8月28日(木)06時21分2秒

平凡社の東洋文庫『馮友蘭自伝』の冒頭は、幼少の頃に知県となった父を通して、少年の見た地方の県衙門の有り様がまとまっています。どの部分もどこかで読んだような話ではあるのですが、少年の主観でまとめてあるあたりいいですね。自分の父親が判決を下すとこも実見しています。


珍しい 投稿者:管理人・青木  投稿日: 8月28日(木)03時00分33秒

当時中国語であるとか中国史であるとかやろうというのは珍しかったのでは。私の世代以上で中国語クラスというのは、まず間違いなく変わった人々で、かつ結束が強いという、なかなか近寄り難い集団でした。私より2、3年上で、いま東大の先生してる人のクラスは、どっかの飲食店で騒ぎ過ぎで出入り禁止になったと聞きます(というだけの可愛い話ではなかったらしい)。
私などは逆に、常識的であることが尊重されたドイツ語組で、東洋史進学後も同期はヨーロッパ語出身者が圧倒的多数でした。中国語出身者は、中文・中哲へ進学し、中国語クラスの延長生活を楽しんでいたようです。ただ、私自身は初歩の初歩だけでもヨーロッパ言語を学んで、ヨーロッパ文化理解をより徹底させて悔いはない、むしろもっとやりたかったです。
さて2020年代、山腰先生のお子さん達は日本語英語以外に何を選択することになるのでしょう。*K


四人組戦記 B 投稿者:山腰敏寛  投稿日: 8月27日(水)05時11分9秒

3年生になってから竹内好(当時が偲ばれます)などという本を前期で読むなどして、後期になって自分が関心もっていることについて、発表などし始めました。思えば四人組がしていることは、経済史だったり、東北史だったり、魏源からみだったりその時と変わりません。大学の近くのアヴァコ(アニメの録音スタジオもあった)で合宿などしてました。

この時点で注目すべきは、東京都立大学の野沢豊氏のゼミ(大学院生などが主の?)に学部生の段階で参加した者がいたこと。これについては当時からの伝説(?)があって、岩波新書で『辛亥革命』(だったと思う)を書いた野沢豊という人がいるということで、大学の研究室まで尋ねていって弟子になったという話。そんな話が仲間内にあったので、数年前に本人に確認をとりました。半分は本当なのだが、実は今近現代史をするというのであれば誰がいいかということをまず相談したのが故柳田氏だったとか。その部分が落ちて仲間内で伝わっていたようで。仲間内の噂もちと当てにならないところがあります。

しかし、10人ほど3年次にいた集まりも、四年生になってから、野沢氏の弟子は学会発表もすると自分の研究にかかり切り、夏から2年ほど中国に留学したのもいて、四年生はほとんどこない状況となりました。最初は、新3年生もあつまりが悪かったのです。
「集まりが悪いのなら、潰した方がいいよね」
というのが当時の顧問格の先生と二人でした話。


ほう! 投稿者:管理人・青木  投稿日: 8月27日(水)00時59分8秒

以前からこの掲示板で、「四人組」のことはよく登場し、皆さんご存じのようなのですが、私は知らない。簡単に検索して、私がある史料について辞書項目書いたとき参考にさせてもらい、この夏も合宿でお世話になった先生が、浩宮殿下と同じ生年の早稲田出身、としか分からなかったです。しばしば、「聞かずとも、ぐぐれば一生の恥とはならじ」でスルーしてしまうのですが、改めて伺っておかないと。私、山腰先生とも本野さんとも、「奏摺」をちょっとしたことありますが、実は抵抗感がありました。誰でも表の顔とウラの顔がある、という人間観が頭をもたげてきて。でも表の顔がもうすぐなくなりますから、これを縁に、是非ウラでご教示いただきたいと願っております。
「学習」って、共産党の中国語ですね。台湾しか知りませんが、台湾では「念」「読」は言うけど、「学習」って聞かないのです。いやそれはそれとして、学習会はどうなりましたか?*69364


四人組戦記 A 投稿者:山腰敏寛  投稿日: 8月26日(火)21時35分43秒

さて、その2年になった時、なんか中国の近現代史をしようという者が多いのではということで、自主ゼミをつくろうかという話になりました。2年生の頃を通してそういう話ができて、3年生入ってからしようという話になりました。学生だけではなく、当時先生の中にも近現代史をしている方がいたのです。その方のセンスなどもあってついた名前が中国語で「Xuexi(学習)」会。


四人組戦記 @ 投稿者:山腰敏寛  投稿日: 8月26日(火)21時29分11秒

せっかくなので早稲田の四人組のことなど記しましょう。
しかし四人組と言われるためには打倒されるに足る存在であらねばならないのですが(本家も所詮は毛沢東の傀儡に過ぎなかったのですが)。

1980年の春、早稲田の文学部に入学し、中国語を専攻したのは60人くらいの語学のクラスで3クラスほどありました。その中にX組というのがありまして「おい、×(ばつ)かよ〜!」と最初のクラスの自己紹介で湧いてました。一人、ちょっと変わった雰囲気の方がいて、年も雰囲気も違うような……今から思うと、あれは下放後に海外留学してきた方で30才くらいだった。

当時の早稲田というのは、2学年から専攻に振り分け、そこで東洋史の同輩と際会した訳です。いまでも、語り草の、なんであれだけの研究者がでたのかという学年となったわけです。これと好対照だったのが、その前年の学年で、発表のたびに主任教授が怒っていたとか。

いろいろな方面をしたいという者がいました。実際、イスラム史は二人専門家、古代史で教員しながらがんばっているのもいるし、モンゴル史から今では清朝史しているのもいるし、とりわけ近現代史をやろうという人が多かったのです。

今のように4年生の頃に就活などで大変な時代を見越した2学年からの専攻の振り分けというのはよいかと思うのですが、今から思えばもうちっと授業には工夫をしてもらいたかったな。授業やら演習でそんなに力をつけることができたとは思えない。漢文の読み方だって、山根先生に習ったのですねと言われたことあるが、教わった覚えはない(ほんと)。先生、辛亥革命の文献ばっかり書いてばかりいたよな。

1年生の頃というと、中国現代史というのがありまして、これがなぜか政治経済学部の先生がしていて、いやすばらしい授業だという同級生がいて、自分もとったら1980年という時点で文革を否定していないという珍授業でした。文革が目指そうとしたものなんてことを言ってました。

その際に、日本の研究者は中国語の資料を読むのは中国人にはかなわないなどということをのたまっていたのですが、後年出した岩波新書で青柳篤恒の導きで大学で教えるようになったのだが、青柳篤恒が詳しかった公文書のことなども習っておくのであったと書いていた……、あんたがまとめないから私が作ってしまったんじゃないか。


私がここに出没したのは 投稿者:山腰敏寛  投稿日: 8月26日(火)20時44分8秒

私がここに出没したのは、
@ 辞書の営業活動です。最近はCritical Readings の営業も加わるわけですが。
A 田舎にずぅっといるのはいいのですが、すこしばかりプレゼンスを示さないと、好きなことを言う向きもあるようなので。この業界で、私の悪口を言おうなどと、天に唾するがごとき、愚かなことをする者がいるのです。ここに書いてもいいかなと思うのですが。そやつには副学長を通して、私の辞書を使ったら論文の最後には参考文献に私の辞書を挙げておけと伝えておきました。
副学長の方は畑が違うで、
「××先生は参考文献を挙げられない方なのですか?」
「いえ、挙げないのはあいつだけではありませんで業界全体そうですが、あいつだけは許せん」
「……(意味不明の模様)」
「日本語の論文書くときに、広辞苑を参考文献に挙げないのと同じです」
「……(もっと意味不明な模様)」

私が知っているはずのない話も多々あるので。これについては奏摺にて。
編集済


強く生きねば。  投稿者:管理人・青木  投稿日: 8月26日(火)12時43分8秒

本野さん、ほんとに面白かったですね。ここに来るまで、先輩は「危ない子供」だと思っていたのですが、実は「面白い大人」でもあったのですね。それはそうと、相当落ち込むことが最近あったのですが、平常心を保とうとしています。それが何か書けないんだったら、書くなよ、というのが普通ですが、
>カール=クロウの伝記をさらわれて落ち込んでいたし
で思い出したのです。戦後、一族の長が全精力をかけて執筆した大著、出版を約束していた出版社に持っていったら「今は材料もない、少しでも有名な人のものを多く出して社に余裕ができてからだ」と約束を反故にされた時。落胆を隠し、「こういうことも、あらーさ」と笑っていたそうです。研究と教育を趣旨とした掲示板で、身内の自慢話も見苦しいですが、彼は大変な人格者で、敵・味方・右翼・左翼・下層民・VIP全てから慕われていたそうです。これをちょっと肝に銘じたく、書きました。*69326


それより 投稿者:本野英一  投稿日: 8月26日(火)09時46分5秒

私が試験的に始めた幾つかのプロジェクトのHP立ち上げるの手伝ってくださいな。青木さん。こちらも来月の学会報告と一一月の香港での報告の準備。パソコン新調に伴って音楽CDを入力する作業などで、ここに書き込みたいことが書き込めず、往生しています。ここでの書き込みって楽しかったよね。何年続いたんでしたっけ?おかげで、あまり面識のない大学院生が、私のことを実によく知っているんで驚くようになりましたけど。
*69321


いえいえとんでもない。 投稿者:管理人・青木  投稿日: 8月25日(月)23時38分4秒

そんなお気になさらず。内容が良ければ、関係ないですよ。それより、引用ご紹介ありがとうございます。引用していただいたほうが、リンクより、読みやすいです。
管理人としては、なんとなく頭の中で「ホタルの光」が流れ出しているのですが、どうぞ書きたいことは何でも書いてしまってください。「水産大」は私こわいのですが、夏のCDの話なんか、聞きたいですね。それから、ここが閉鎖になると知らされるまでは、秋からの本野さんのイギリス便りを楽しみにしていたのですが、残念。本野さんとメールって、続かないんですよね。まあ、続いたら気持ち悪いですが。ここが閉鎖になったら、私は少し、「リンク集」のリンク切れや新規を整理しようと思います。
それはともかく、私はとうとう、オリンピックの開会・閉会式はもちろん、一試合も見ていません。意固地になってたのではなく、単に時間がなかっただけで、他の番組も見てません。時間があったとしても見なかったと思いますが。今日は終戦記念日の10日後ということで、写真を2枚。米軍が東京に撒いて行った、宣伝ビラです。親戚の所蔵物。そのほかにも、夜中に「炎はえんえんと天を衝き」などと、しばしば敵の情宣放送がラジオで聞けたとのこと。*69304
http://t_links.at.infoseek.co.jp/_temp/b29/b29alg.jpg
http://t_links.at.infoseek.co.jp/_temp/b29/b29blg.jpg


訂正します 投稿者:山腰敏寛  投稿日: 8月25日(月)19時38分58秒

消化としたのは、個人が買うには高いなという意識があり、研究費で買うか各大学の図書館で備えるべき本であるということをちょっと謙遜して書いてしまいました。プロジェクト自体にも失礼な言及になりました。特に9巻は南京事件では言及される著作であるし、10巻はすでに書いたように、スノーとはちと違う、通史になっているので中国学としても必須です。


Mojibakeしてしまった 投稿者:山腰敏寛  投稿日: 8月24日(日)21時26分52秒

去年の2月くらいでしたか、編集されている方がいきなり高校に電話かけてこられて、カール=クロウと董顕光の解説を書かないかと誘われて否応もなく快諾。これは、カール=クロウの伝記をさらわれて落ち込んでいたし、現物見ても分析甘いとおもっていたからでもあります。
書いていて、意図したのはこの二人の著作はちょうど1937年の前と後を対象としているので、解説をうまく書けば10巻目は日本学の本にして中国学の本にもなるとも意図しました。……原稿没にならなければよいのだが。

ちと値段が高いですので、個人では買えないでしょう。何かの研究費を消化する際に一考ください。
編集済


貼り付けます 投稿者:山腰敏寛  投稿日: 8月24日(日)21時19分33秒

Critical Readings on Japan, 1906-1948: Countering Japan's Agenda in East Asia
Series 1, Volumes 1-10: Books
EDITED and with a GENERAL INTRODUCTION by Peter O'Connor MUSASHINO UNIVERSITY,TOKYO
FOREWORD by Ariyama Teruo TOKYO UNIVERSITY OF ECONOMICS

With Japanese Propaganda: Selected Readings, Series 1: Books 1872-1943, and Series 2: Pamphlets, 1891-1939, (in 20 volumes, co-published in Japan with Edition Synapse) Peter O'Connor and a panel of distinguished historians provided scholarly introductions to a selection of essential books and pamphlets in Japan's propaganda arsenal, documenting Japan's drive for international acceptance, and her pre-war retreat into national victimhood and institutionalized mysticism.

Now with Critical Readings on Japan, 1906-1948: Countering Japan's Agenda in East Asia, Series 1, Volumes 1-10: Books, an equally distinguished team turn their attention to the world's reactions to Japan's Imperial agenda. With scholarly introductions to eighteen books by Japanese, American, British, Korean, Russian, Irish, Italian and Chinese authors, Series 1 of this new collection appraises a broad range of critical presentations on the most controversial aspects of 'New Japan.'

In Volume 1, ... In Volumes 8 and 9, Hamish Ion introduces four virulent polemics on Japanese power, three of them on Japan in China. Finally, in Volume 10, Yamagoshi Toshihiro examines Carl Crow's claim to I Speak for the Chineseand Hollington Tong's efforts on behalf of the Guomindang Ministry of Information, published just before Chiang Kai-shek's hasty exit to Taiwan.

With a Foreword by one of Japan's leading media historians, Ariyama Teruo, a General Introduction by Series Editor Peter O'connor, and scholarly introductions to each volume, Critical Readings on Japan, 1906-1948: Countering Japan's Agenda in East Asia, offers an invaluable resource for students of global reactions to Japan's drive for Imperial power. With this Collection, Peter O'connor and his distinguished panel provide a worthy successor to Global Oriental痴 earlier Collection on Japanese propaganda. A second Series of Critical Readings planned for publication in 2009 will complete this ambitious project.
編集済


営業です。 投稿者:山腰敏寛  投稿日: 8月24日(日)21時17分33秒

間違いなく出版されてからと思っていたのですが、今のところは来月発刊の予定のようだし(一部サイトは2009年となっている?)、この掲示板も来月いっぱいだとのことで、改めて(前にもなにかで紹介したように思いますが)宣伝させていただきます。
編集済

http://www.aplink.co.jp/synapse/4-86166-050-5.html


×本○人 投稿者:山腰敏寛  投稿日: 8月24日(日)21時08分32秒

ググると、中国で海賊版DVDをたしなむと自身のブログに書き込むような新聞人は常人ではないです。らち外の人間でしょう。
本野さんの向こうを張ってわたしは、渦潮教育大学の日々などを書き……綴らないから安心してください青木さん。それは、過去のことではなく、進行形であるからです。さて、どこにちくったものか。某大学某学部か、文科省か、某マスコミか。


あまりに早い夏の終わり 投稿者:本野英一  投稿日: 8月24日(日)20時08分5秒

 北島康介の平泳ぎ200メートル決勝を除いて、オリンピックを全く観なかった小生です。やっと終わった、清々した。これから日本のODAが停止され、既に新聞その他で報じられている通り、外資系企業が急速に資本を引き上げている現在、今後の成り行きが注目されます。どうして外部依存型市場経済でなければやっていけないのか。昨晩は結構もりあがったんですよ。残念でした。明日から、まだ完結していない「私の東京水産大学時代」の続き、そして今年のボーナスで買ったCDその他について、書き込んでいくことにいたします。
 東京は週末からの長雨で、暑さが一気に消滅しました。高円寺阿波踊りが全くもりあがらず、気の毒に思えてなりません。*69231


うううむ。 投稿者:管理人・青木  投稿日: 8月24日(日)18時40分50秒

この掲示板の話題ではないので、研究計画のことで、本野さんに、迷惑かけてしまったのです。まったくもって、申し訳ない。それいがいにも、非常にストレスフルなこと(自分のバカが原因)があって、なんとか解決せねば。
ところで、本日書きたいと思ったのは、朝日新聞の国際欄に塚本和人という人が社説のようなものを書いていましたが、人権や人道で中国を孤立させるな、中国が混乱すれば日本へ波及する、「情けは人のためならず」、だそうです。64天安門、「孤立させるな」となし崩し的に無罪放免しようとした日本、天皇訪中にも係らずその後悪化の一途をたどる日中関係、軍拡・ガス田、改善しない人権状況などを、一体この塚本和人という方はどう見ておられるのか。例えばこの時期に、人権問題で中国を孤立させるなと言う氏の主張を総理大臣が海外で英語で発言したら、60年かけて築いてきた第二次大戦で傷ついた日本の信用はどうなる。まあ、それは良しとしまして、ストレスが解消されたら再び戻ります。*69224


昔は良かったね。 投稿者:本野英一  投稿日: 8月22日(金)22時17分49秒

 そう。昔は受け入れ先の招聘状と、スポンサーの証明書だけを入獄管理監に見せればはいOKでした。毎年更新するときは、ちょいとパリまで出かけ、貧乏大陸旅行をやって帰りにまたパリでワインを買い込み、1時間ほど飛行機乗って帰ってくれば、またパスポートにハンコを捺してもらってはいおしまい。でした。超特権留学生だったし、若かったしで、あの頃は本当に良かったです。齢を重ね、勉強すればするほど、西ヨーロッパが好きになり、中国に対する嫌悪感が広がります。*69132


VAF3 投稿者:管理人・青木  投稿日: 8月22日(金)18時15分38秒

になるんですかね、在研の場合は。4.17から両親の名前や生年月日欄まであるようです。約20年前、大陸から戻ったとき、スタンステッドかガトウィックで友人も銀行の残高証明や取引記録を見せて厳しいインタビューを受けました。昔本野さんがOxに行ってらしたときも実は必要だったのではないかな。生体情報収集(007のMI6みたいな雰囲気の小部屋につれてかれるのでは?)は20年前はありませんでした。あと、戸籍は謄本ではなく、抄本でよいはずです。あまり余計な情報まで与える必要はありません。また、イギリスの場合、戸籍も通帳も英訳がいらず日本語のものでよいと思うのでその点はラクでしょう。ただあれだけやられると、「誰が行きたくて英国なんか行くもんか」という気にはなります。まあ、ともあれ、おつかれさまでした。行ってらっしゃい。*69118


そうか 投稿者:山腰敏寛  投稿日: 8月22日(金)17時57分17秒

そうなるとイギリスには行くこともないでしょうね。

今日は県内の高校の先生方が教科ごとに分かれてする研修会で、昨年早く帰ろうとして、発表するからといった約束の発表でした。例の、自閉的児にして将来の天才達の抹殺計画を聞いたのは、原稿校正での会での話。割とうまくいったかなとの感触。質問もちょっとうれしかったな。プロパガンダにだまされない方法ってあるかときかれて。


英国政府ヴィザ申請 投稿者:本野英一  投稿日: 8月22日(金)16時27分43秒

 本日午前、連れ合いと二人で汐留に英国政府入国ヴィザ申請に行ってきました。提出したのはパスポート、申請書類の他に受け入れ先からの招待状、勤務先の英文証明書だけではありません。何と戸籍謄本、半年分の給与明細や給与が振り込まれる貯金通帳まで、現物とコピーを揃えて提出を命じられたのです。愛想の悪い職員さんの質問を終えると、両手全ての指の指紋と瞳の虹彩もしっかり撮影されましたね。12年前、22年前には考えられなかったことです。
 幸い東京都内在住だったからよかったけれど、東京もしくは大阪在住者じゃなかったら、どんなに不便であったことか。イギリスが外国人受け入れの余裕がなくなってきた証拠なのでしょうか。*69114


ありがとうございます。  投稿者:管理人・趙匡胤  投稿日: 8月22日(金)05時41分37秒

そう言っていただけると、しみったれた周の野郎をぶっ潰して建国した甲斐もあったというものです。昨日は文庫で研究会しました。総じて密度が濃く、連続発表・討論で疲れても、私にはそれだけの収穫がありました。
私、下品なんで、シェークスピアやギリシア古典ではなく、1980年代始まってすぐ、ラップの歌詞を覚えました。まだ「Yo!」とか言わない時代です。それから、大学1―2年の哲学の授業では、パルメニデスという哲学者の詩をギリシア語で長々と暗記させられました。この出だしを言えることが、同窓生の符牒です。*69083


あの時代は夢があっていいですよね。 投稿者:本野英一  投稿日: 8月21日(木)22時35分2秒

宋代って、中国の支配層が人類全体の文明水準向上に大きな貢献をしていられた時代ですよね。紀元前5世紀頃のギリシャ半島アテネやら、フランス革命から第一次世界大戦までのヨーロッパみたいで、何を勉強しても面白いんですよね。日中戦争勃発以後の中国とは大違いだ。うらやましいです。*69071


宋代史研究会 投稿者:管理人・青木  投稿日: 8月21日(木)00時28分47秒

に行って来ました。例年になく盛況で、なんだか、50人はいたみたいです。またしでかしてしまいました。尊敬する大先生を壁際に追い詰め、他の学生から隔離してからんでしまいました。酔っていたのが原因ではなく、楽しかったので。物理的に逃げても良かったものを、真摯に追いつめられていただいて、感謝しています。あと、あの延々と続く自己紹介はもっと短くしたほうがいいです。宋代史はまだいいのですが、明清史合宿の自己紹介は実に苦痛です。食事もビールもまずくなる。一人ひとりの研究・話は面白くても、3分が100人だったら、5時間ですよ。2分にして二日に分けても、90分授業以上です。

華国鋒…電柱か何かに、華国鋒訪日反対の右翼のビラが張ってあったのが彼についての最古の記憶です。ご愁傷様です。毛沢東も周恩来も記憶ありません。ニクソンなら少し覚えています。*69018


華国峰の死去 投稿者:本野英一  投稿日: 8月20日(水)23時16分33秒

 さっき新聞のHPで知りました。時代の流れを感じます。中国の若い世代は、この人物が誰なのか全く知らない
人もいるのだそうですから。*69017


<(_ _)> 投稿者:山腰敏寛  投稿日: 8月19日(火)21時47分53秒

文革中に『ワイルドスワン』の作者におかしいと思わせるきっかけともなった魯迅の評論も読んでみたいものです(しつこい<(_ _)>)。しかし、あの論鋒で今の中国を断じたらどうなるか……、という話はおいておいて。

語学の天才だったシュリーマンはひたすら暗記しつづけ、「誰でも、私のギリシア語に文句をつけるなら、即座に典拠を示してみせる」と豪語していたそうです。幣原喜重郎もマ元帥に、「ところで英語がお上手ですね」と言われて『ベニスの商人』の一節を暗唱して見せて唸らせたらしい。もっと英文を暗記暗唱しておけば良かったと思います。子どもの頃どこかで、怖くなったんですよね、どんどん覚えていくということが。それは何を覚えるかを選ぶべきだったのですが。
編集済


次回の香港では 投稿者:本野英一  投稿日: 8月18日(月)10時57分12秒

(1)を選択するしかありません。時間の関係で、発表は口頭で行い、その後の原稿は、旧知の李倍徳さんに見ていただきます。英語で書くにしたって、何人もの人に読んでいただくしかないし、第一母国語で論文書くときだって、編集委員の審査を経なくちゃならないでしょ。先日採用決定となった論文だって、どれだけ苦労したことか。目下は広島と香港での準備に追われる毎日です。*68876


台湾人も中国人も 投稿者:管理人・青木  投稿日: 8月18日(月)00時33分2秒

我々がおつきあいするような先生方は大概礼儀正しいので、我々日本人が中国語を書くと褒めてくれます。でも、あれは本音ではありません。ウソです。我々が書く学術中国語、相当のレベルの人でも、台湾人・中国人から見れば全然ダメみたいです。もちろん大概の中国史研究者も会話は適当にできますから、庶民の中国語になってしまった共産党の中国では少しは恥かしさが少ないかも知れませんが、やはり論文というレベルに達する日本人はまずいないようです。問題はメールや手紙で、実は日本人研究者の書く中国語手紙のほとんどは、恥ずかしいものらしいです。中国で下手な漢詩を平気で書いた田中角栄みたいなマネはしたくありませんので、(1)ネイティヴにチェックしてもらう、(2)英語でかく、(3)日本語で書く、のどれかです。*68865


以上は、新着順1番目から30番目までの記事です。

Infoseek   



パスワード


管理者:oriental_history@yahoo.co.jp

個人掲示板 powered by teacup. について